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【ドキュメンタリー】もう一度1軍へ!難病からの復活を目指す 31歳右腕の苦闘の日々

15 10月 , 2014   Video

かつて中継ぎのエースだった越智大祐、31歳。並みいる強打者を力強いストレートでねじ伏せ、かつて巨人の勝利の方程式の一角を担っていた。そんな男が、ここ2年1軍での登板が遠ざかっている。原因不明の病で投げられなくなり、選手生命の危機…。焦りと不安。もう一度、1軍へ。かつての中継ぎエースの知られざる苦闘の日々を追った。


2005年、早稲田大学からドラフト4位で巨人に入団した越智は、プロ3年目でその真価を見せつけた。武器は、マックス155キロのストレートと切れ味の鋭い、フォークボール。三振を狙って奪える、頼れるリリーフとして、この年チーム最多の68試合に登板。翌2009年も66試合で投げ、巨人の日本一に大きく貢献した。2008年からリリーフとしてフル回転していた越智。当時の巨人は越智に支えらていたと言っても過言ではない程の投げっぷりだった。そして、2010年に3歳年下の真奈さんと結婚。翌年には長女・絢音ちゃんが誕生し、順風満帆のプロ野球人生を送っていた。
しかし2012年、越智に悪夢が忍び寄る…。
練習を終え、何気なく歩いていた時、一瞬、足が思うように動かなくなった。そしてシーズン開幕を迎える頃には、両足に痺れを感じ始めた。しかし、離脱するわけにもいかず、監督やコーチに症状を告げずに1軍で登板し続けた。この時、事態の深刻さに気付いた者はいなかった。足の痺れは日に日に増していく…。開幕から1か月が経った頃、ブルペンで投球練習を始めようとした越智に、突然異変が起きた。踏み出した左足に力が入らず、倒れ込んでしまったのだ。体がおかしいと感じた越智は、病院で精密検査を受けた。そして、医師が告げられたのは初めて耳にする病名だった。
〝黄色靭帯骨化症″
黄色靭帯とは人間の背骨を支える靭帯。その一部が骨のように分厚く、固くなり脊髄を圧迫。脳からの信号が下半身に伝わりづらくなり、感覚が鈍り、痺れや麻痺が進行、やがて歩くことも、立つことすら出来なくなってしまうという。越智の状態は既に麻痺がかなり進行していた。病の原因はわかっていない。ただ、越智以外にもプロ野球選手、特にピッチャーに発症例があり、腰に大きな負担をかける事が係わっているという説がある。
治療薬はなく、症状が重い場合は手術が必要となる。その手術はまず背中を切って背骨を削る。そしてその中に潜む、脊髄を圧迫する黄色靭帯を取り除くというものだ。しかし、越智の場合、脊髄の損傷が進んでおり、手術が成功しても会いに痺れや麻痺が残る可能性があった。野球どころか、日常生活すら失いかねない現実に越智は打ちのめされた。
不安を抱えながら手術を受けた。越智の黄色靭帯は、他の患者よりも分厚くなっていた。そのため手術は困難を極め、4時間を要した。そして、無事成功。幸い、懸念された足の麻痺はほとんど残らなかった。3日後、歩いてみると、痺れは少しあったものの、普通に歩くことができた。そして、手術から1週間後、越智は退院した。
手術から9か月経った2013年3月。見事、2軍の公式戦に登板。ストレートの最速は143キロと全盛期には遠く及ばなかったが、1イニングを無失点に抑えた。しかし、またすぐに壁は立ちはだかった。2軍での登板から2か月経っても球速は、一向に上がらない。手術前と手術後での投球フォームに狂いがでいた。自然に痛みの少ないフォーム、辛くないフォームなりがちだった。フォームが安定せず制球が定まらない。不調の日々が続いた。この時、越智が1軍から姿を消して1年という時間が過ぎていた。1軍では越智の指定席だったリリーフに年下の選手や外国人選手が台頭。山口鉄也と共に新たな勝利の方程式が確立されていた。自分の居場所が失われていく…。越智は、折れそうな心を奮い立たせ、練習に取り組んだ。
そんな越智に復活の兆しが見え始めたのは、今年2月の春季キャンプ。越智のストレートにかつての力が蘇り始めていた。
そして2軍の公式戦が開幕。越智のストレートは、最速148キロをマーク。開幕から5試合連続、無失点。そして6試合目となった日本ハムとの試合で越智は復活をアピールする。球速145キロ前後をコンスタントにマーク。力で抑え込むかつての越智の投球スタイルが戻りつつあった。8月現在まで、越智は2軍で26試合に登板。1軍復帰への道を一歩ずつ歩んでいる。

絶望の淵から這い上がろうと戦い続ける巨人のピッチャー越智大祐。31歳のかつての中継ぎエースが輝きを取り戻す時、もう1つのバース・デイが訪れる。

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